あれがそれになってこれになる

あれがそれでこれになる

0116 「映え」を意識し過ぎた三流のパフォーマンス もうええって 

先日、高校サッカー勝戦がテレビ中継されていた。
そんなに詳しくないが、日本一が決まるということで興味が湧き、その試合を見つめていた。結果は一点差でAチームが勝利し、チャンピオンとなったのだが、気になったのは試合終了後の負けたBチームの選手たち。

試合終了のホイッスルが鳴り、敗北を確信した選手たちは、次々とその場で倒れ込み、号泣していた。
あと一歩のところで優勝を逃した悔しさや、厳しい練習に耐えてきた日々を思い出すと、やりきれない感情を抑えろという方が酷。
しかし、正直言ってそれは迷惑に過ぎない。

倒れ込む選手に、味方チームの人間が肩を貸し、最後のあいさつに連れていく。
この光景は今まで何回も見ているので「もうええって」ってなるし、「めっちゃテレビ意識してるやん」ってウンザリな気分になって、せっかくの決勝戦が台無しになる。

また厄介なのが、涙している姿を「映え」と捉えるヘビーネットユーザーたちがいること。イイね欲しさに目はギンギン、指も動く動く。試合後、SNSに号泣している選手の写真を挙げて「かっこよかったよ」「お疲れ様」。うーん殺したい。

話はそれたが、スポーツの世界では、もはや風物詩みたいになっているから困るのだ。
でも、俺だってそんな選手の姿に感動を覚えることももちろんある。しかし、それは一流選手の場合に限っての話だ。例えば、イチローがチームの優勝に感極まって涙した…これこそ本当の「映え」じゃないのか。そんじょそこらの、うんこに毛が生えたようなやつがやったところで、試合の進行のことなどを考えると迷惑なだけ。だから泣くのはバックヤードに戻ってからにしてね。そのかわりSNSに挙げないように。