あれがそれになってこれになる

あれがそれでこれになる

0808 バカップル 始まるセックスエスカレーター

電車の中など、公共の場でのいちゃつきはきもすぎると過去に記事にした。
今回もおのぼせカップルへの愚痴として、エスカレーターでの行動に注目。
一見いちゃつきようのない環境だと思うが、ぜーんぜんそんなことなーい。
またしても同じことを言うが、もはや入れてるのと一緒!


私が出勤の際に利用しているのは、ネズミランドに向かう線の電車。家族連れや外国人観光客なども多く利用しており、悪しきカップルたちもそのうちの1組だ。ネズミランドは「夢の国」とうたっているだけあって、向かう最中からみんな浮かれっぱなし。それは帰りも一緒で、東京駅に向かう電車の中にもかかわらず、「まだ夢から覚めていない」と言わんばかりにネズミの耳を頭に付けている。まあ、ここまではよくある話で。

私が今回言いたいのは、夢から覚め切っていないバカップルたちの行動。
駅の中には多くのエスカレーターが存在する。大体バカ女が先頭をきって乗り、カス男が後に続く。
すると、2人の身長差が一気に同じぐらいの高さ、もしくは女が男以上の高さになる。
女が見下ろし、男が見上げるその姿。
そう。
騎乗位だね。

こうなると、お互いの股間のアクセルは全開に。じゃれあいから始まり、ついには顔を近づけあってと、法定速度破りまくり。
覆面クラウンの私も思わず「そこのバカップル!」とサイレンを鳴らしたがるのも分かるだろう。

見苦しい。本当に。そら「最近の若者は」なんて言われるわい。
今教師をやってる方々。義務教育として生徒に教えてやってください。
人に迷惑をかけてはいけないとうことを。



0126 高身長大好き性悪女

女性は恋人を作るときに、「中身重視」とほざきながら、結局最後は「見た目」で男を選ぶという史上最高レベルの矛盾について前回は書いた。
今回は女性が異常なまでに男性に求めるタイプの一つ「長身」について口から下痢がでるほど文句を言いたいと思う。

身長。これは顔に続いて、自身の力ではどうにもならない身体の一部だ。
しかし、顔で見た目が勝負できなくても、服装や髪型でなんとか「雰囲気イケメン」をつくることができるので、見た目はなんとかごまかしがきく。

だが身長に関しては手の施しようがないし、仮に方法があったとしても靴だけ。もとの身長を変えることはできない。なのにこれをタイプなんて言うやつ、これはもはや差別だ。
そんなに求めるなら、常に地面にはいつくばって下から見上げとけ。

じゃあまたまたチクリと痛いところをついてやろう。
身長150センチで見た目が木村拓哉と、身長180センチの蛭子能収がいたらどちらを選ぶ?間違いなく後者の化け物を選ばず、キムタクの方を選ぶだろう。

ということは「高身長がタイプ」も、「中身重視」発言に続き、これまたウソということになり、この発言をしているやつは「大性悪女」ということになる。

また違う角度から指摘してみよう。
例えば男から見た高身長の女はセクシーに見える。これは実際がどうであれ、勝手にナイスバディと脳が認識しているからであって、「性欲」が反応しているのだ。

これは女にも当てはまるはずで、身長の高い男に抱かれたいという遠回しのアピールが「高身長がタイプ」になっているのだ。

性欲だ。結局。どいつもこいつもブスも。

0123 死んでも有名人にはなりたくない

今日ツイッターを見ると、トレンドに野村周平の名前があがっていた。
たびたび“炎上発言”で話題になることも多いので、気になって本人のアカウントにとんでみると「写真撮ってんのに対応冷たいとかマスコットキャラクターじゃねーんだよ」とのつぶやきが。
なにに対して文句を言っているのか分からなかったので、リプライをさかのぼってみると、だんだん状況が浮き彫りになってきた。

なんでも、街中でファンに写真撮影を求められた野村は、対応に応じたものの、その顔に笑みはなく、なんなら「めんどくさい」、と言わんばかりのムスっとした表情を浮かべていた。さらに、撮影が終わるとひと言も発さず、「歩きたばこ」をしながらその場を去っていった。

この一連の流れは動画で撮影されており、ネット上で拡散された。すると「対応が冷たい」「歩きたばことかマナー悪い」など批判的なメッセージが寄せられた。
このメッセージに野村は「歩きたばこ?その前に盗撮だろ」と怒りのツイートで反論した。現在、このツイートは削除されているが、この対応が火に油を注ぎ、さらに炎上が加速した。

有名税」なんて言葉が芸能人には使われるが、だからと言って何をしても許されるわけではない。週刊誌でも、プライベートを盗撮した写真が掲載されているが、普通ならとっくの昔にプライバシーの侵害で訴えられている。しかし、「イメージ」や「評判」が売りの芸能人にとって、裁判沙汰のようなことが起きるのはマイナスイメージに繋がりかねないので避けているだけ。


家を特定されても、身内から情報を漏らされても、交際をばらされても我慢するしかない…。
自分がそんな目にあったら、ストレスで死んでしまうだろう。
まあ、もし死ぬとしても、自分をそこまで追い詰めた人間を特定して、性器をちょんぎってやるなど、仕返しをしてからかな。
追いかける側にはなってもいいけど、追いかけられる側には一生なりたくない。

0121 まっちゃん 岡村は努力の天才だ

最近、自分が大好きな芸人の本を読んだ。
それは松本人志の「遺書」と、岡村隆史の「素顔の岡村隆史」。
仕事に対し妥協を考えない姿勢、普段テレビではなかなか語られない「笑い」や「番組作り」に対する熱い思いを知ることができ、大げさながら後世に伝えてもよいと感じる内容だった。業界人だけでなく、一般の方が読んでも思わず唸ってしまうはずだ。

中でも、特に胸に刺さったのが、2人とも挫折や失敗を繰り返し、努力を重ね、今の地位を築き上げたという共通点があったということ。「そんなの当たり前」と思うかもしれないが、画面越しに見ているだけでは感じることができないだろう。

たしかに「ダウンタウン」も「ナイティナイン」もデビュー後、あれよあれよという間にスターの階段を駆けあがり、常にお笑い界のトップとして君臨してきた。それのせいか、我々の目に映る2人の姿から「苦労」や「努力」を感じることができなかったのかもしれない。しかし、それまでにの道のりは決して平坦ではなかったことが本にはつづられており、「苦労」や「努力」という言葉で片付けるのも失礼なぐらいだった。

表舞台で「頑張っていました」なんてダサすぎて言うことなんてないだろうし、本で明かしていることも、決して今までの自分たちを褒めて欲しくて書いているわけではないはず。

私は「われわれはこれだけのことをやってきた。だからたくさんお金をもらっているし、仕事もくる」という、どの世界でも「あたりまえのこと」を、お笑いの世界で例えてあらためて知らされたような気がする。

「ローマは一日にして成らず」というが、「日々の積み重ね」を大御所芸人たちも大切にしていたことで、成功へのチャンスは誰にでも転がっていることを再認識させてくれた。
くっさい言葉がおもわずとび出てしまったが、それだけ読む価値のある本だといことなのだ。

0120 二度と「中身重視」とかほざくな

女が理想の彼氏を語るとき、必ずと言っていいほど重視する男のポイントがある。
それは「中身」。
これが実際の話であれば問題ではないのだが、いかんせんウソのことが多い。

男の場合は「可愛い子とヤレたらいい」という考えが、24時間頭のてっぺんからつま先にまで流れているから、見た目を重視することは当然のこと。
これで空を飛べるんじゃないかっていうぐらいにきゃんたまをパンパンに膨らませ、どうすればベットに持ち込めるかを考える、これはまさに「本能」なのだ。

性に対する考えは、女よりも男の方が貪欲なのはもちろん分かっている。
だからといって、女が「性欲が強い」っと言ってもひくことはないし、なんなら自分をさらけだしていて好印象と受けとれる。

なのにだ。
女は自分の性欲をオープンにせず、「ちょっと何言ってるか分からない」と己の莫大な性欲を隠ぺいしやがる。男とやるときは本家の女優のごとく「気持ちいい?」とか聞いてくるくせに。ちなみに男の立場から言えば「黙ってさっさとなめろ」と思っているので、余計な私語はつつしむように。

話を本題に戻すと、女性も性に対して貪欲なのは間違いない。
それは相手がイケメンほど高ぶるし、高身長、細マッチョというオプション付きなら胴上げものだろう。

「男のお前になにが分かる」と言われるかもしれないが、じゃあ聞くぞ。
身長140センチ、体重100キロ、未完成の福笑いみたいな顔面、ほとんど「笑ゥせぇるすまん」に近い見た目だが性格は「マザーテレサ」の男と、中身は「蛭子能収」の木村拓哉がいたとしよう。
「恋人にするなら?」と聞かれたらどちらを選ぶ?


もはや聞くまでもなく、「中身が蛭子能収木村拓哉」を選ぶだろう。
理由は簡単。中身はクズでも、見た目がイケメンだから。
言い換えれば、中身の良さより性欲が勝ったから。
要するに「見た目よりも、中身や性格を重視」という女ほど嘘つきで性悪、性欲はだけはいっちょ前にあるがそんな自分をさらけ出せない恥ずかしい女なのだ。

何回も言うが「中身」を重視することが悪いわけではない。
しかし、それを言うからには徹底してほしいというだけ。
なぜなら、今も彼女が欲しいと願っている性格のいいブサメンたちがくさるほどいるから。

0118 テレビの時代が終わったとは言わせない

最近、テレビがほんとにおもしろくなくなってきた。
子供のころはなにも考えず、純粋にテレビを楽しんでいたが、今は昔と同じようには見れない。
理由としては、番組の「やらせ」を感じることが多くなってきたから。

ゲストを迎えてトークテーマを設定しMCがまわしていく。
シンプルだがこれが一番見ていて笑えるし、やらせのやりようがないから不信感を抱かずに楽しめることができる。

しかし、この手の番組はMCの力量によって変わってくる。
さんま、ダウンタウンブラマヨ、クリームシチュー、上沼恵美子東野幸治今田耕司
これぐらいの人間でないとトークだけで番組をまわせないのだ。

シンプルだからこそ難しい。だからこそ、MCの力量が問われるのだ。
しかし、今名前をあげた芸人たちも地上波では限界を感じたのか、ネット番組にもこぞって出演している。

陰部を出したり、NGワードを発したりと、むちゃくちゃしていて、ほとんど無法地帯。
それでも番組が成立してしまうから、肩身の狭い地上波よりネット番組を選んでしまうのも無理もない。

もちろん、それは視聴者も一緒。面白いほうがいいに決まってるし、スマホでどこでも簡単に見れてしまうのだから、時代的にも適していると言えるだろう。

昔、毎日どの番組を見ようか楽しみにしていたのが、今となっては面白い番組を探すほうが大変。テレビっ子だった自分としては、やはりこの時代の流れはさみしく感じる。

業界の人間ではないのでどうすることもできないが、やはりテレビという娯楽が無くなるのはさみしいので、ほんとに微力ながらであるが視聴率に貢献できるようにリアルタイムで番組を見るように心がけたいと思う。

0117 買い物中は話しかけんな

今日は指輪を買いに行こうと渋谷に出かけた。
良さげな店を見つけたので、指輪を物色していたら、奴が現れた。

「何かお探しですか?」

出たよ。客にしっかり話しかけてくるタイプの店員が。
一人でゆっくり考えながら探したいのに、話しかけられると気が散ってしょうがない。

でも話しかけられたから「指輪を探しに…」と一応は返事をする。
すると「良い商品があるんですよ」、とテレフォンショッピングばりの口調で接客を始めやがる。

こうなってくると無視することができないから腹が立つ。
しゃべりかけてくる店員と、それを無視する俺という光景があったとしたら、それは周りから見たらカオス過ぎるし、間違いなく俺が悪者扱いされる。

からしゃーなしで接客を受けるわけなのだが、商品の話だけしてくれたらいいのに、「どこら辺に住んでるんですか?」ってこちらのプライベートにまで踏み込んでくるずうずうしさがまた厄介。一応「○○駅です」とはちゃんと答えたが。あげくのはてには「ぼくは秋田出身で、仕事の都合で東京に出てきたんですけど」って合コンみたいな自己紹介までしてきやがる。

めんどくさいと思いながら「店員さんは今どこに住んでるんですか?」って気を使って返したら

「電車で15分ぐらいのところです」

いや、そこはにごすんかい!
今までさんざん自分のことしゃべってきたのに家はあかんのかい!
芸能人かお前は!

こちらが店員のプライベートに踏み入るのはダメ。でもその逆はオッケー。
そんなめんどくさい姿勢で接客するんやったら二度としゃべりかけんといてくれ。